昭和43年11月28日 朝の御理解
御理解 第28節
「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。」
御理解二十八節。こう、色々、おー、繰り返し、まあ、頂くご理解でございますが、今日は、一つ、ここんところを、おー、新たな、違った、あー、意味において、えー、一つ頂き、一つ、本気で、そこんところをおかげ頂いていきたいと思うのです。えー、私、今朝方、えー、御夢を頂いておった。あのー、勿体ない話ですけれども、おー、御本部参拝をしているようである。まあだ、三代金光様がおい出られる。えー、もう、ご晩年のころのご様子であった。その、金光様の、おー、お取次ぎを頂いておるのです。えー、あの、沢山の、御信者さんの御初穂をお届けをして、ほかに、五枚、五人ぐらいの、その、お届けが、別にさせて頂いておるのです。その、五枚ばかりの一番上に、高芝秀雄という御初穂を私が、あの、お供えさせていただいて、何か、一生懸命お願いさせて頂いた。そしたら、金光様が、ここんところから、こう、乗り出されてから、あーあの、宮崎におられた高芝さんですかと言われるんですよ。もう、私は、もう、それを聞いてもう、その、身が縮むように恐れ入ってしまってですね。ようも、金光様が、もうそんなら、確かに、あの、高芝さんは、あの、宮崎の時代に、あの、御神勤を、いわば、頂いておられる方ですから、もう、その時分から、何十年間昔の高芝さんのことを、祈り続けておって下さる、忘れておられるどころではない、いつもその、高芝さんの、それが心におありになるという事をね、私はその、その時、感じてから恐れいっとるところのお夢でした。あー、宮崎におられた高芝さんですかと、私に聞かれるんですよ。ね。もう、そげんとはその、ご返事はもう、関係して出来んような状態のところを、で、今朝、目が覚めたんですよ。ほんとにあの、えー、勿体ない、お夢じゃったなと思うてから、今朝から、感激しておるわけでございますが、そして、この、御理解二十八節を、改めて頂いてですね、それが、どういうような、この二十八節に繋がりを持っておるかという事を分かって、一つ、本気で、そこんところへ焦点を置いて信心をしなければならんということが分かります。ね。
病気や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするのに、八、九分かえて退屈してやめれば、掃除はできんと。病人や代々難儀の続く人はと、こういっておられますね。例えば、ほんなら、合楽でご信心を頂いておりましても、あのー、ね、同じ熱心でも、ずーっと、病気、いわゆる、難儀の続くという、続かずに、スーッと、おかげを頂いていく人がありますね。ところが、熱心に信心しよりなさるけれども、やはり、難儀の続くところがありましょうが。先ず、ここんにきから、一つ、難儀の続く人はです、それだけ、やはり、あの、いうなら、めぐりが大きいと、先ず、知らにゃいかんですね。高芝さんなんかは、やっぱり、そうだと思うですよね。いわゆる、宮崎の時代から、ご信心を続けておられるのに、ね。良かごとあるかと思や、また、と言ったように、何かしら、難儀がいつも付きまとうておるという感じです。だから、信心は、だから止められん、信心は続けておるわけでございますけれどもです。ここで言う、信心を、おー、続けるということはね、どういうことかと。次のところのね、えー、病気災難は根の切れるまで、井戸は清水になるまで、ね。病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するとよう元気な心で信心せよと、こう仰る。これはですね、何十年間信心が続けられておるというだけでは、(いらだれが?)出来ないということですね。ね。何十年し、いつかはお取り払い頂くじゃろといったようなものじゃいかん。何十年続いておっても、その信心じゃ駄目。一番初めに、病人や代々難儀の続く人はと、こう言うておられる。その、そういう人はですね、もう、本当に、その根を絶たせて頂くための信心がなされにゃいかんです。言うなら、ね。えー、言うなら、我情我欲というか、身欲のための、いわゆる、ご利益信心がですね、何十年続いたって、だから、駄目だという事になりますね。だからこれは、信心をやめるとか、やめない、そういう事じゃないです。何十年金光様の信心頂いておる、これは、ほんなら、私の、大坪の家の例を見るが一番いいです。ね。この頃、初代の、早々のころに、御神縁を頂いたのですから、もう、それこそ、何十年間の信心を続けてきたけれども、やはり、難儀が続いておった。ね。だから、ああいう信心で、私のほうが続けられておったって、百年経ったって、今日のおかげを受けてなかったという事です。ね。そこに、一つのきっかけがある。終戦というきっかけから、私共の信心の内容というものが、変わってしまった。
昨日、おー、杷木教会の信心信徒会で、皆さん、そこへ掲示がしてあったんですけども、掲示を見てなかったんでしょうね、昨日は、行き手が無かったらしい。秋永先生が、一人行っております。それから、高橋さんが、あの、こっから帰りに、もう、甘木までも行っとったけども、はー、ほんに、いー、今日は、例えば、顔付けだけにでも行かにゃ、合楽のゴヒレイにかかわるけんでち言うてから、また、甘木からここに引返してきてから、その時間になって行きました。それから、午後から、大和さんが行ったから、三人しか、合楽から行っとらじゃったち言うもん。こら本当に、みんなが関心持たなければいけないことだと私は思いますですね。まあちっと、その、信心の意欲というものを、あー、総代初め、幹部の人達が、あの、意欲を燃やさなければ、あー、本当におかげを受けられない。まあ、今日のご理解にも関連する事。で、その、あちらで、平田さんの、おー、ま、お話を頂いてきて、非常にあの、ま、感動して帰っておられましたが、今までの、平田さんの話とは全然違っておったということですね。今までは、もう、強引、まあ、いわば、強引なお話だったけれども、最近は、自分は信心に、自身を失ったというような意味合いのことを言われたそうですね。それは、今までの、自分の信心じゃいけなかったという意味なんですよ。ね。ははー、ほんなら、合楽の信心、これから分かりなさる感じですねち言うてから、聞いた事ですけれどもね、いわゆる、あの信心に、平田さんが、あの、おー、いわば、信心にですね、本当に、これで良いかというような頂き方ですね。今までの信心は、間違うておったというようなところに、そういうところへ、立脚してからの、これからの信心になられたら、素晴らしかろうと私は思いますですね。例えば、こういう例を取られたそうです。例えばこれは、丸い円と致しましょうかね。甘木の親先生あたりは、もう、ここから、ね。こう、こちら回りして、ここがおかげであるなら、こちら周りを、初め、ここからこう、廻られたち言う訳です。それで、自分達の信心は、こう行きよると言うわけですね。そして、ここ辺で、あっ、こら間違うとったと思うて気が付いて、こう、後戻りをしよるという感じだということです。今までの信心は、もう、きとるようであったけれども、間違っておったと気が付いてから、まあ、ここさん帰らんならんという意味の事を言われたそうですがね。そして、ここ辺で、ほんなら、ここまで帰ってしまいきりゃ良いけれども、ここまで帰ってしまいはきらんと。例えば、まっすぐ前向いて行きよる。お気付けをいただく、回れ右をすりゃ良かばってん、半分ぐらいしか向かんて、みんなが。お気付け頂いて、横ぐらいまでしか向かんて、と言うてその、まあ、話されたそうですがね。ですからね、これは、どういう事かと言うと、この信心はね、自分というものを、信心は、しだごだしておられたから、もう、商売繁盛のことだけしか願わなかったし、それが、信心の、自分の始まりだと、平田さんが言われたそうですね。おかげ頂きたいばっかりで、金光様の信心を頂いたち言うのです。だから、これさん行ったんです。これが、おかげ信心の方向である。ここまで、こう行っとったら、もう駄目なんです、おかげ信心ちゃ。ね。甘木の親先生あたりは、もう、一番初めから、一番初めに、それこそ、天地の大道理を聞かれた時にです。それこそ、足元から、鳥が飛び立つような思いで、びっくりしたち言われたんです。今までの、信心のなかった時代のことの、そら恐ろしさをですね。もう、ほんとに感じられたわけです。そして、一番初めから、その、真の信心へ、天地の大恩に報いるための信心が、こっから始められたち言う訳なんです。ね。自分達のおかげ頂きたいばっかりで、甘木に参ったっちゃ。それが、今、おかげはこれだけ頂いてきたけれども、これは、当然間違うておった、こっからここに、甘木の初代が、一番初めに、その、立たれたところ、ね。ここを、立脚点としてという、ここんところに、帰って、信心をこれから、まともに進めていかなければいけないという事に気がついておると、こう言うて話されたという事です。ただ、その、高芝さんの、今日、私が、ね。勿体ないですけれど、三代金光様に高芝さんのことをお届けさせて頂いたら、ああ、宮崎におられた高芝さんですかと、金光様が仰ったんですもん。それこそ、何十年間という間、高芝秀雄のことを祈り続け、思い続けてござるけれども、こちらのほうにばっかりしか、行きよらんち言うことです。ね。難儀が続く筈だ、(とんとんと机を叩かれる)これじゃ。こればっかり。ね。だから、ここんところでです、ね。病人や代々難儀の続く人はと、そこんところに、はあー、どうして、こういう難儀が続くじゃろうか、これだけ信心しよるのにと、気が付いたらですね、本当に、回れ右をして、ここまで帰ってこんといけんという事はです。これは、俺達の信心、もし、例えば、高芝さん達が、夫婦で話し合うならです。こら、いよいよ、母さん、俺達の信心は、ただ、一生懸命拝む、参るだけでは行かんぞと。こりゃ、本気で高芝の家のめぐりのお取り払いのために、これからの信心はあるぞと、例えていうなら。ね。そして、例えば、難儀を感ずる、困ったという時には、それが全部、お取り払いを頂きよるという頂き方にならにゃいかんと、ね。めぐりのお取り払いのために、の、信心。ね。これは、真の信心を分からせて頂くための第一歩だと思うですね。ね。おかげを頂くためじゃないでしょうが。まず、何と言うても、病気災難の根の切れるということは、いわゆる、めぐりの根が切れるための信心を、こっから初めて行かなければいけない。金光様は、それほど、何十年間願い続けておって下さるんだ。本当のおかげの頂けれる、その事を金光様は願い続けておって下さるんだと、私は思うんです。ね。
評判は、いわば、信心、何十年か知らんですかれども、目に、そこんところを今、気が付いて行きよりなさる。今までの、私の信心じゃ駄目だと。ね。いわゆる、甘木が、一番初めに、甘木の初代が、感じられた、信心の、ここんところに帰ってきて、ここから、信心を、いままで、左回りをしよったなら、右回り。右回りをしよったならば、左回りにならなければいけないという事に気が付いたと言うておられるそうです。ね。ですからね、これはね、信心を、もうやめればと、こう言うておられますけれども、信心をやめればということはね、どういう事かと言うと。おー、おー、お道、金光様の信心をやめた、やめるといった意味じゃないです。ね。
例えば、信心はしよってもですよ、信心はしよっても、いわば、ほんとの、井戸ざらえになるような信心ということなんです。ね。井戸ざらえの信心とは、どういうことでしょう。今日、私が言う、井戸ざらえの信心というのは、ね。いわゆる、病気災難の根の切れるまでの、いわば、めぐりのお取り払いのための信心という事になるのです。ただ、おかげ信心が、だから、五十年、百年続いておったって駄目だと。例えば、大坪の、私のほうの家の信心がです。もう、七十年にもなりましょうか、ね。その信心がです、そんなら、あの、私が、終戦前にしておった、家族のものがしておった、そういう信心では、百年続いたっちゃ、だから、井戸は清水になるまでのおかげは受けなかったという事が分かります。ね。そこで、結局、真の信心というか、本当の信心を、一つ分からせて頂いて、本当の信心を身に付けていかなければいけん。本当のところからの、第一歩からやり直させて行かなければいけない。ね。病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよと。ここになってくると、どういう事になるかというと、もう、井戸ざらえを始めたらです、例えば、あの、須田博士が見えたときにです。信心な一年間で決めろといわれたでしょうが。それが、ほんなら、その信心はね、おかげ信心では駄目ですよ。信心、幾ら須田先生が言われた信心でも。本当の信心を目指して一年間ですよ、言うならば。まあ、一年間ということはですね、もう、短期間でという意味です。それは、二年、三年かかるか、それは分かりません。ね。一年間で決めろという事は、何十年信心しよるかという意味なんです。ね。やあーっと言うて、そんなら、めぐりのお取り払いのための、例えば、の、例えば、信心とでも申しましょうか。ね。本当の、真の信心とでも申しましょうか。ね。
例えば、これは私が、いつも言っておるように、自然な成り行きの中に起きてくる、様々な問題というものを、回避する、よけて通るような事をせずに、それを、まともから、合掌して受け抜いて、ね。それを、真の信心の、真の修行だと思えと、私は言っておるようにです。ね。そういう信心がです、本気で、それをよけようとかね、そこから、避けようといったようなもんじゃなくて、それをまともに、頭から受けていく信心です。しかも、その信心が、やあーっと、一気に、井戸ざらえをする時のように、なんがれなんがれじゃない、そういう信心をさせて頂いてこそ、初めて一年間で勝負しろという事になってくるのです。ね。そして、ほんなら、私の、おかげ受けている状態というものを、皆さん見て下されば良いのです。ね。終戦、そしてから、そげん、五年も十年もかかっとらんでしょうが。ね。今までの、何十年かの信心から、もう本当に、今のような、こげな信心では、駄目であったことが気付かせてもらって、そこから、もう完璧に、完全に、回れ右をしておりますもん、終戦を境に。いわゆる、平田さんが言うておられるのはそれなんです。ね。いわゆる、そこから、本当の、真の信心とはという、そこを目指して、もう、完全に回れ右をして、今まで右回りをしよったのを、言うなら、左回りにならせて頂いてから、そう何年でもかかっていませんですもの。ね。私は、須田博士が言いよるとは、そういう意味だと思うんです。一年間というのは、一年間という意味じゃないです。そげん、長くかかるものじゃないと。本当に、井戸ざらえを始めだしたら。ね。本当に、その、井戸ざらえのための、言うなら、本当に、真の信心に打ち込んでの信心。皆さん、私は、今日の御理解いただくならですね。例えば、何十年間、ただ、おかげ、おかげというか、あの、おかげ、そら、幾らおかげを願っても良いとですよ。良かばってんですね、良かけれども、真の信心になってからの、おかげの願いで無からなきゃいかんです。真の信心なんかては、考えてもいないでしょうが、みんなが。本気で、めぐりのお取り払いを頂くためのことは、考えていないでしょうが。御祈念の時には、めぐりのお取り払い頂いて有難うございますと言いよるばってん。本当に、ね。真の信心を分からせて頂くために、一生懸命になっとらんでしょうが。ね。そして、お願いをして、おかげを頂いてです、そのおかげが、ちっとばっかり、ゆっくりなってくると、もう、いよいよ、、真の信心なんかは思いもせんでしょうが。これじゃ、繰り返し、繰り返し、高芝さんが何十年間繰り返ししてこられたようにです、それでも、ほんなら、金光様はです。宮崎で、御神縁を頂いた時から、高芝秀雄のことを祈り続けておられるということです。何を祈り続けておられるかというと、そこんとこに、気付いてくれる事を祈っておられる事です。私が、そのなかに、沢山のお届けをさせて頂いた中に、四、五枚、こうあったというのはですね。私は、その感じですけども、高芝さん以下、ここに一生懸命打ち込んで、何時まで経ったっちゃ、おかげの頂けられない人達の、代表のような人達ばかりを、私がお届けし取ったような感じがいたします。それに、金光様は、そう言うて下さる。ね。はー、宮崎におられた高芝さんですかと、こう、言われる。ね。ですから、その、ほんならどうぞ、その、金光様の祈りの中にある、高芝秀雄が、今のような信心では駄目だと思う。ね。いわゆる、平田さんが言うておられるように、そこの、立脚点のところまで、一つ帰ってこなければいけん。本当の所まで、帰ってこなければいけない。そして、そこから、今度は、左回りをしよるなら、右回りに一つ、完璧にならなければいけない。右回りしよりゃ、おかげのことは願っちゃならんということは無い。おかげは、今まで通り願っていいのです。けれどももう、右回りと左回りとは、全然違うでしょうが。ね。本当の信心を分かると言うことのためなんだ。いよいよ、本当のめぐりのお取り払いを頂く事のための信心になってしまうおかげなんだ。ね。それでも、痛けりゃ痛い、痒けりゃ痒いでくさ、やはり、お願いもしていかねばならん。また、せにゃおられんのですから、けれども、今までの行き方を完璧に回れ右をしなければならないと。ね。
いつもこの、御理解二十八節は、途中でやめればと、言ったような意味の、えー、事を言いますね、あの、なんですか、あー、もう、二十日ぐらい前だったでしょうか。えー、吉井の熊谷さんが、ここに、えー、二度目のお参りをなさるとき、何かで、よう通う、丁度、こちらへ向いておまいりしてきよったら、吉井の街中で、ある家から、ひょろっと出てきた人が、立川さんじゃった、千束の。立川さん、知らん方もありましょうけれども、元、ここで、総代をしておりました。非常におとなしい、真面目な方です。それがもう、どうした、それこそ、おー、天魔が見入ったか知らんけれども、もう、あーもすーも言わんなりですね、創価学会に行かれてしまったんです。もう、こればっかりは、今でも、それこそ今でも私は、あの人の事を、それこそ金光様じゃなかばってん、祈り続けているです、この人の事だけは。ね。それがもう、ここの信者さんのところへ、その創価学会、高山さん方辺にも、田主丸のむつや辺にでも、あ、その、お導きに行く。もう、金光教は、駄目じゃけん、その、創価学会に変わりなさいちいう。ね。けれども、親先生と金光教は違う。もう、親先生にゃあ、私は絶対、ご恩な忘れんち。けども、金光教はつまらんばいち言うてから、言うげなもん。うん、またこの人は、私がこっどん、悪う言いよるならふうで、罰かぶるです。というぐらいに、私と立川さんの中には、そういうものがあったんです。もう、それこそ、親先生のためなら、命はいつでも投げ出すて、公言しよったです、くらいにやっぱ、そん時は、嘘じゃあない本当に、やっぱその、打ちこんどった事代があるんです。それがもう、あーもすーも、もう言わんなり、本当にもう、それこそ、手紙一本で、あの、金光教の信心を辞めますと言うて、言うてきたんです。それっきり。そうして、それから、自動車どん買うちから、あの、その、ま、この頃はとても、確かその、都合が良かごたるふうち言うて、まあ、聞けば聞くほどですね、はー、やっぱ、信心に打ちこんどるきん、神様が、一足でんお前にゃさせんと仰るから、やっぱ、御徳をつんどったから、おかげを頂きよると私も思いよった。そしたらこの頃は、もう、その、自動車も先生、乗り回し取りなさるごたるふうち。もう、それがもう、様子が、もう、尾羽打ち枯らしたごたる家でございます。立川さん、あの、親先生が、いつもあなたの事は、思いござる、祈りござるですよて、ね。あの、て言うて言うたげなら、もう、とても敷居が高こうしてからね、忘れはせんばってん、敷居が高うして行かれんとこう。今までは、もう、そがな話しどんじゃなかったもう、顔見りゃ、熊谷さん、金光教から、創価学会に変わりなさいという行き方だったけども、もう、芯からその、その、私の、今日、話を聞かれたと、こういう訳なんですよ。本当にもう、あそこの前通るたんびに、あの、しよるが、もう益々繁盛でち言うてからその、ま、ここんことを言うてですね、そしてそん、そりゃもう、大したこっですよ、現在の合楽は、こうこうですよち話されよると、それを、ま、一つひとつその、聞いて、そして、その、ま、別れた。とにかくその、ま、そげな、色、あの、敷居の高いてん何てん言わずに、とにかく、はよう合楽に帰ってお出でなさいと言うて、申しましたと言うておられましたがですね。これなんかはです、ね。もう、確かにもう、信心させて頂く、おかげも頂いて来たけれども、めぐりのお取り払いのほうが、もう、ちょいと、本当に、へとへとするくらいに、あったんですよね。ですから、その、めぐりの取り払いを、こら、完璧に、途中でやめたわけですよ。ね。止めたもんですきん、後は、スーッと、一時、おかげ頂いたわけなんですね、何年間か。言うなら、今まで、井戸ざらえをどんどんしよったつば、止めたもんですきん、すーっとこう、まあ、上澄みが出来たような感じなんです。そこを、いよいよ汲みよったんでしょうけれども、もう、今度は、いよいよいけないといったような、ま、状態にある模様だと、熊谷さんが言うておられるですけれどもですね。これなんかは、その、やっぱ、ここに、当てはまるですね。信心を止めれば、あー、その、何時までたっても水が濁っているようなもんだと。けども、今日、私は、そこんところを、そういう意味じゃなく、止めるとか止めないとか、そういうこっじゃないです。ね。例えば、ほんなら、現在のような信心であるなら、まあ、何十年、例えば、続けられたって、めぐりのお取り払いにはならないという。ね。現在のような信心ではですよ、ね。何時までたっても、めぐりのお取り払いにはならん。それは、私共が、五十年間も、信心を続けてきたけれども、めぐりの取り払いにはならずに、難儀が続いておったということ、大坪の家の。けれども、終戦同時に、私の信心が、完全に、回れ右をさせて頂いて、ね。そこから、なら、真の信心を目指しての信心にならせて頂くところからです。そう、何年もかからなかったという事です。ね。以来、災難がない。薬一服飲む事は要らん。
昨日、一昨日でした、若先生が、それを、あのー、話しよるんですよ、四、五人、あの、松栄会の方達と。ね。とにかく、ほんなら、大坪の家を見れば一番分かるでしょうが。さあ、ちょっとここが痛かと、盲腸ん痛み、はー、そんならすぐ手術する、ね。例えば、もう、ここあたりなんかは、例えば、せこうが痛もうが、もう、医者にはかからんと、こう、薬は飲まんと決めきってあるけん、盲腸のもの字も、この十何人の者がおるばってんなかろがのと言いよる訳です。そんなら、そういうおかげをいただいとる人は、合楽には、沢山ござるでしょうがち。ね。頭の痛か時にはノーシン、胃が悪かなら胃酸。さあ、盲腸だと言うた時にはもう、簡単に手術して貰や、と、もうそげん決めとるきん、そげんいつも頭の痛かったり、胃が痛かったりするたいち。大坪の家ば見りゃ、一番分かるがの、というのもです。めぐりのお取り払いを頂いて、此の方という事になるのじゃないでしょうか。薬のくの字も言わんで済むのですもんね。だから、そういう、皆さんがですね、言うならば、ちょっとした、そうした見本が、手本がね、ま、ここにあるのでございますから。私が、どういう風にして、回れ右をしたか、どうして、私が、そこんところに熱中させて頂くようになったら、なるほど、長くはかからなかった。須田博士の言葉をかって言うならば、信心は一年間で決めろと言われる。その、一年間の信心の内容がです、やはり、ほんなら、ご利益信心が、一年間、どげんやいやい続けられたっちゃ、こんなら駄目だと言う。ね。本当の信心にならせて頂いて、いわゆる、一年間。ね。だから、ここんところを一つ、皆さんが、分からせて頂いて、今日の、この、御理解二十八節は、ね。一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよと。ね。繁盛するよう、まめで一心に、元気な心で願わなきゃならん。ね。だから、何十年の信心が、いかに、例えば、それは出来ておっても、めぐりのお取り払いにもならない。真の信心のほうにも、歩が、足が向いていない信心ならば、何十年したっちゃ、まあ、大したことは無いて。お取次ぎを頂いて、お願いをして、おかげを受けると、ね。なるほど、おかげを受けますけれども、その信心では、いわゆる、まめで繁盛するようにと仰る、その繁盛には繋がらないと。ね。本当に、私共が、そういう、信心に、早く目覚めさせて頂かなければですよ、ね。金光様が、例えば、ね。思い続け、祈り続けて下さっておる、その思いに対して、相すまんじゃないですか。ね。こりゃ、高芝さんだけの事じゃありますまい。ね。高芝秀雄のお初穂を、ここにお供えさせて頂いたら、ああ、宮崎におい出られた高芝さんですかと、こう言われるとじゃもん。何十年間という間、金光様が、祈り続けておって下さる。ただ、どうぞ、おかげを頂きますようにという、その内容というのはです。本当に、真の信心に向かっての、信心が、早う、おできになられるように、ハイ、一心に、繁盛するように、ね。願い続けておってくださる。その、願いに応えて、私どもがですね、この御理解二十八節を、今日は、そういう、うー、見地でね、頂かせて頂いたわけですけれども、ね。信心を止めんなり、ただ、ずーっと続けて行きよりゃ、いつか、お取り払いが頂けるといったようなものじゃないという事をです。一つ、今日は、分かって頂きたいと思うですね。どうぞ。
中村良一
2005年5月8日